「少し歩かない?」
そう言うと静流は、俺の返答を待たずにハンドルを右に切った。
柔らかく整った横顔の向こうに、春の陽を受けてキラキラと光る海が広がる。
注ぎ込む日差しで車内は暖かいけれど、3月初旬の潮風は、まだかなり冷たいだろう。
静流は車を海沿いの駐車場に滑り込ませると、
「あそこから降りられる」と、色あせた看板を指差した。
「寒いと思いますよ」
一応止めてはみたが、すでにドアを開けて、外に出ようとしていた。
この春の海が、よほどお気に召したのだろう。
俺は二人分のコートを手に、後を追った。
砂浜につながる階段を、静流は足早に降りて行く。
夏になれば海水浴客であふれるのであろう海岸には、誰もいなかった。
予想した以上に風が強い。
そして予想した以上に、砂浜に立って見る波は輝いて見えた。
「きれいだね」
並んで歩きながら、海の方に向けた視線をこちらに移すことなく、静流はそう言った。
(今日は横顔ばかり見ているな・・・。)
靴を濡らさないよう、寄せる波をよけるたびに、二人の肩がぶつかる。
ふと、手を繋ぎたいと思った。
一緒に暮らしていても、幾度の夜を重ねても、
外でお互いに触れることは避けるようにしていた。それは、暗黙の了解だった。
浜辺には他に誰もいなかったけれど、
ほんの少し腕を伸ばせば届くその手を握ることは、やはりためらわれた。
海からの風が、陽に透ける静流の細い髪を乱す。
邪魔そうに何度もかき上げたり押さえたりするけれど、それはほとんど無意味のようだった。
普段は隠れている耳から首筋のラインが露わになって、
俺はこみあげてくる衝動を抑えるために、目をそらした。
「痛・・・っ」
突然、静流は下を向いて目のあたりに手を当てた。
「どうしましたっ!?」
「髪が・・・いや、砂かな、目に…。でも大丈夫」
「こっちを歩いてください」
俺は、左右入れ替わって、風上になる海側に回った。
身長はほとんど変わらないので、どの程度意味があるのかは疑問だが、
静流は、片方だけ潤んだ目で、「ありがとう」と答えた。
「君の言った通りだ」
「え?」
「確かに、寒い」
そう言うと静流は肩を寄せて来て、冷たくなった指を、俺の手に絡めた。
そしてにっこりと微笑んだ。
―――ああ・・・どうして貴方は。
俺の心を読むことができるのか。
それとも最初から、
寒かったらこうすればいいと思っていたのか―――。
「そろそろ、車に戻ろう。君が風邪をひいてしまうよ?」
風よけの効果が一応はあるのだろうか、心配そうに静流が言った。
「いえ、もう少し、このまま歩きましょう」
Fin.